絵のお悩み解決

陰と影の違い、描き方(後編)

2022年1月9日

陰と影

 

陰と影の違いの説明の後編です。
→ 前編はコチラ

陰と影はどちらも「かげ」と呼びますが、意味が違います。
例えば床に置いたボールがある場合、陰はボールの光が当たっていない暗い部分、影は床に投影された黒い部分です。
「陰」については前編で解説したので、よかったらご参照ください。

 

この記事で説明する項目の一覧です。

2.影について
2-1.影の特徴
2-2.影の機能

 

それでは個別に解説していきます。

影について

2-1.影の特徴

影は平行

1)方向が同じ
当たり前ですが、屋外なら影は全て同じ方向に向きます。
太陽は遠くに有って巨大ですので、光は全て平行線でやってきます。
よって全ての影は平行に並ぶことになります。

屋内の場合は複数の光源がある場合もありますし、壁などで乱反射することもあるので、2つの影が表れることも珍しくありません。
でも理屈としては同じ光源からの影どうしは平行になっているはずです。

 

2)影の長さは比例する
例えば犬、人、家が並んでいるとき、影の長さはそれぞれの高さに比例します。
具体的には、太陽の位置を決めたら、それぞれのモチーフの一番高い所と太陽とを結ぶ線が全て平行になるように地面に投影し、影の長さを調整しましょう。

 

3)季節と時間帯によって長さが変わる
これも当たり前ですが、夏の影は短く、冬は長くなります。
正午が一番短く、夜明けや夕方は影が長くなります。

入道雲を描いた昼間なのに影が長いと違和感があります。
逆に影の長短によって季節や時間帯が推測されることもあるので、注意が必要です。

 

4)室内なら複数の光源がありうる
影の中心部は濃く、周縁部は薄く

室内であれば、壁に当たった光が乱反射しているはずなので、影がクッキリとしているのは珍しいはずです。
仮に光源が裸電球1個だけだったとしても影の縁は乱反射によってボンヤリしているはずです。

光源が2つある場合は、両方の影が交わる所が一番濃く暗くなります。
人が立っている所に2つの場所から光を当てたら、それぞれ2方向に影ができますが、足元の影が交わる場所はとくに黒い影になるという意味です。

 

5)影の色は黒ではない
影を真っ黒に塗るのではなく、投影している床などの色を加えると、さらにリアルになります。
屋外の場合、土に影が差しているなら、土色を黒っぽくしていくとそれらしくなります。

影が差している部分の土に、まったく光が当たってないということはありません。
光は空気中の水分で乱反射していますから、北側からも光は射しているので、土に投影された影が純粋な黒というのは不自然になります。

 

2-2.影の機能

①長短と濃淡で感情を表す
ベタな使い方ですが、長い影は寂しさや悲しみ、濃く短い影はエネルギッシュな強さを表すことができます。
あえて逆の感情を表すために使うと、太陽は人間の細かい事情など知らぬという無情感を演出できるかもしれません。
使い方は難しいかもしれませんが……。

また濃淡でも天気や感情を表すことができます。
クッキリとして短い影は夏の晴れた日を想像させます。
ぼんやりとした長い影は陰鬱な気持ちを表現できます。
夕暮れ時の長い影とうつむき加減の主役はトボトボと歩いているように見えます。

満月でも影ができます。
雲ひとつない夜の満月はけっこう光が強くて、クッキリとした影ができます。
今度、機会があったら自分の足元にできる影を見てみてください。
幻想的、もしくは妖艶、不気味……など、不思議な感情を表せます。

 

②地面に接していることと位置関係を表す
影とモチーフの接点が上手くないとモチーフが地面から浮いているようになってしまいます。
球であれば地面とは点で接しているので、ハレー彗星の先端みたいな形状で影が始まっているはずです。
複数のモチーフが地面に立っているとき、影の方向と長さを調整することで、モチーフどうしの距離感、位置関係を表すことができます。
よく分からないときは地面に正方形のタイルを消失点に向かって敷き詰めていくのを想定して描くと、一つだけ地面から浮いたり、沈んだりするのは防げます。

 

③光と影は演出になる
まず以下の作品をご覧ください。

カラヴァッジョ、『聖マタイの召命』

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ「聖マタイの召命」

カラヴァッジョの出世作です。

右端に立っている2人の男性のうち、赤い袖で左を指しているのがキリストで、左端でうつむき加減で一心不乱に銭を数えているのがローマ帝国の収税所で働く徴税人のマタイです。
キリストの呼びかけ(召命)に応えて、マタイは弟子となり、キリストの死後、宣教のため遠方まで赴き、殉教したため聖人と崇められています。

右上の窓から注ぐ光はスポットライトのように左端まで照らしますが、銭を数えるのに忙しいマタイはうつむき、その光を直接は浴びていません。
自分の使命に気づいていないのでしょう。
闇の中からマタイを指差すキリストの眼差しは鋭く、確信している強さがあります。
キリストとマタイ以外の人々は戸惑っているようにも見えます。

一番目立つ位置の中央でスポットライト的な光を浴びている女性の顔は明るく浮かび上がり、斜に構えて横目でキリストを見ています。
頭は左側へ傾き、避けるような、のけ反るような格好になっています。
ドン引きしているようにも、警戒しているようにも見えます。
もし仮に親愛なる人、敬愛する人が右に立っていたら、横目ではなく正面から見て、頭は右側へ傾くでしょう。
これはキリストに対する当時の人々の空気感を表したものと考えられます。

一番手前のこちらに背を向けている男は左腰に剣を差しています。
いざとなれば警護のために剣を抜くのも辞さない役目を負うのでしょう。
こちらに背を向けているというのは、私たち鑑賞者に背を向けている、すなわち反対の立場にあることを比喩したものではないでしょうか。
黒い背中というのも何か意味がありそうです。
男は右側に傾き、「おう、何の用だ」と言わんばかりの警戒態勢のようです。

この絵の中に限っていえば、真の主役はマタイですが自分に射す光に気づいていません。
中央にいる表面的な主役の女性は光を浴びて戸惑った表情を浮かべています。
マタイもキリストも「光と影」でいうところの影の中にいて、ローマ帝国側とそれに従順な人々は光の中にいます。
キリスト礼賛のためにキリストとマタイを光の中に置くという単純な構図にせず、暗闇の中に置いたところにカラヴァッジョの類まれな構成力を見ることができます。

ちなみにこの絵は教会で公開されるとすぐに話題になり、人々が一目見ようと押し寄せたそうです。

 

まとめ

前編、後編にわたって「陰と陰」について解説してきました。
なんとなく陰と影の違いを理解していた人は、これでくっきりハッキリしたでしょうか。

陰は立体感を出したり、人の表情や感情を表すことができます。
影は季節や時間、そしてやはり人の感情を表すことができます。
いずれも舞台装置、演出としての機能が使えます。
上手くすればカラバッジョみたいなドラマチックな構成もできるかもしれませんね。

自分の絵は締りがない、ぼんやりとして腑抜けた感じがするという場合は、陰と影の使い方を見直してください。
グッとリアルになって、迫力も出てきますよ。

 

               (以上です)

 

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